「4号用水路跡」。

(あしあと その632)

地下鉄東豊線学園前駅の2番出入口から降りて、歩行者用通路を東に向かうと、敷地の塀に沿って説明板が立てられています。これは、かつてこの地域を流れていた用水路の一つである「4号用水路跡」を示すものです。

説明板には、「明治44年の北海中学校前道路、横が4号用水路」と題された白黒写真と、「平成27年の街並み」と題された住宅街図が記され、その右側に

「4号用水路跡

明治4年、平岸に入植した開拓団は生活用水のため精進川から平岸街道に用水路を掘った。

明治20年代には東裏の重延親子が坊主山の下から水を引いて水田の耕作に成功し、平岸街道にはリンゴ栽培や、近隣の村人も稲作を始め、水の要望が強まり、豊平、平岸、白石、上白石の4箇村聯合用水組合を結成し、現在の美園、豊平、菊水に通じる18本の用水路が完成した。

豊平の地には4号用水路として、現在の第一幼稚園向かいの仲通りを通り、渡辺建設裏のこの地を通って豊陵公園の横から菊水に抜けて水を供給していた。

春は小魚を取り、川岸の柳の下で脚をひたし、主婦は洗濯や生活用水として大いに利用されていた。やがて上水道、下水道が完備され、昭和38年平岸の堀は地下に埋められ、水路は美園へ切り替えられ豊平には全く流れなく、町内有志により埋め立てられた。

町内会創立50周年を記念しこの記念碑を設置した。

平成27年(2015)10月 建立 豊平第17分区町内会 文責 会長 中川昭一」

と記されています。

町内会長を務める中川氏は、地元の郷土史家の一人であり、豊平の地域内で知られていない石碑を発掘したり、豊平の歴史に関する著作を出版されるなど、地域の開拓の歴史にとても精通している方です。

歴史のあしあと 札幌の碑

ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑、記念碑が気になり始めてから、沢山の人にその存在を紹介してこうと思い、はじめはブログから始めました。札幌の歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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