「時習館記念碑」と副碑。

(あしあと その599)

手稲記念館から東方向に向かうと、中の川の流れに行き当たりますが、川を下流に向かって少しばかり進んだところに、川の両岸に広がる中の川公園という河畔公園があります。

川の左岸側の緑地帯に、白御影石でできたモニュメントが建てられており、これが「時習館記念碑」です。

碑面には、「時習館記念碑」と刻まれた下部に、「昭和四十二年二月之建 手稲町長 蓑輪早三郎書」と添えられています。

碑の前には、黒御影石でできた副碑が横たえられ、その面には

「明治五年五月 未開のこの地に〇を創始し「学ンテ時ニコレヲ習フ」の古事を引用して「時習館」と命名した この理想こそその師たりし三木 勉氏の教育精神であって 氏の学徳の教育の中に力強く具現されたのであった

ここに手稲教育の発端を追慕し 教育の先見を讃えてこの由来を永久に傳えんとするものである」

と刻まれています。

石碑に向かって右手には説明板が建てられており、そこには

時習館跡

明治5年(1872年)、旧白石藩の47戸が上手稲に入植した。そのうちの一人三木勉は自宅を私塾として開放し「時習館」と名付け、子弟の教育にあたった。(現在の西区西町北18丁目あたり)開拓判官松本十郎がこれを見て感動して送った書が、「手稲記念館」に残されている。「時習館」はその後「手稲筆算所」としてこの地に移り、現在の手稲東小学校に引き継がれた。」

と記されています。

この碑は、数年前まで高さがあるコンクリート製の土台の上に置かれていたみたいですが、現在は地面に近く建てられています。

歴史のあしあと 札幌の碑

ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑、記念碑が気になり始めてから、沢山の人にその存在を紹介してこうと思い、はじめはブログから始めました。札幌の歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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