「円山学田紀念碑」。

(あしあと その592)

西野の手稲右股通と手稲左股通の分岐を、手稲右股通に進んですぐ右手に西野まちづくりセンター昭和会館があり、その敷地の一角に石碑が建てられています。

正面入り口から入ってすぐ右手に、自然石を2段に積み重ねた大きな石碑があり、その脇に説明板が立てられているのがわかります。

石碑の碑面には、「圓山學田紀念碑」と刻まれています。正面下部には漢文が刻まれていますが、彫りが浅いために判読が難しくなっています。

石碑の脇に建てられた説明板には、

「円山学田記念碑

円山学田地は、明治17(1884)年、学校財産として国から払い下げられた土地で、開墾地から生じる収益により円山地区の小学校の維持運営費が賄われました。学田地は、現在の昭和連合町内会区域の大部分と西野第一、第二町内会区域の一部にまたがる約100ヘクタールの広さでした。

この碑は、学田地開墾の成功を記念するとともに、永い間学田世話係として尽力された上田善七氏の功績を讃えるため、明治43(1910)年9月、開拓の労苦を共にした入植者有志により、建立されたものです。

平成9年(1997)12月 西区役所」

と記されています。

開拓当初、子弟教育の必要性から開拓使の補助を受けて教育所が開設されました。ところが明治15年になって補助が打ち切られたことから運営の継続が困難となり、その存続が危ぶまれた中、学田地の名目で共同耕作の開墾地の払い下げを受け、そこで得られた収穫物を金銭に替えて、教育の運営に充てました。この碑は、その事業に尽力した上田善七氏の功績を讃えて建立されました。

歴史のあしあと 札幌の碑

ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑、記念碑が気になり始めてから、沢山の人にその存在を紹介してこうと思い、はじめはブログから始めました。札幌の歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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