「北海道鉄道殉職碑」。

(あしあと その527)

円山墓地の奥に進んだ高台に芝生となった敷地が広がっており、その一番奥の鉄柵で囲われた一角に白御影石でできた石碑が建っています。

これは「北海道鉄道殉職碑」で、碑面に「北海道鉄道殉職碑」と刻まれています。

敷地の端をたどって碑の背面に進むと、三面に分かれた碑の各面に、建碑のいわれが刻まれています。

左の面には、

「この碑の再建以来12年を経て 本道国鉄殉職者は650柱を加えた 殊に昭和29年9月26日の洞爺丸事故により多数が殉職し 本碑再建の発起人もまたその中に入っている

ここに追慕を新たにし 道内有志がうやうやしくこれらの諸霊を合祀する

昭和41年5月

日本国有鉄道北海道支社長

横山勝義 謹誌」

と刻まれています。

また、中央から右にかけての面には、

「北海道の鉄道は開通以来70餘年にわたり鉄路すでに1100餘粁に及ぶ隆盛をみているが その間lこの經營に尊い生命をかけて礎となった殉職職員及び昭和の事変に外地に派遣されて散華した職員は實に2107人に及んでおる その功績は我国鉄道史に燦として永えに輝くであろう この殉職碑は初め大正2年10月北海道鉄道管理局野村弥三郎外6氏の発起のもとに管内職員の醵金によつて札幌東郊苗穂に建設されたのであるが昭和の事変後頓に荒廃に帰した ここにおいて昭和27年秋鉄道80年記念事業の一として本道国有鉄道職員擧つて醵金しこの地を相してこれを再建したのである 想うに鉄道は国家の血脉であり国力発展の源流であるがその重責はかかってわれらの双肩にある 今日 日本再建の途上に在つて尊い先人の功績に想いを新たにすると共に永くこれを顕彰しその霊を慰めようとするものである 希くば諸霊永えに鎮まり給わんことを

昭和28年7月

国有鉄道北海道総支配人

淺井政治 謹撰」

と刻まれ、それに続いて「発起人」の19人の職名と氏名が刻まれています。

この碑は、元は大正2年に苗穂に建てられたものですが、昭和の事変すなわち大戦により荒廃したためにこの地に再建したということが記されています。

円山公園の東のはずれで、訪れる人もほとんどないような場所に位置するこの碑は、札幌市内を遠望する静かな丘の上に建てられ、殉職者の霊を慰めています。

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