「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」。

(あしあと その86)

本願寺街道跡を見た後は、この街道の存在と切っても切れない「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」を見学してきました。ここは昔から定山渓方面に行くときに前をよく通っていたので存在を知ってはいたんですが、今まで実際に中に入ったことは一度もありませんでした。

この建物の由来は、入り口横に見えるだいぶ色あせた説明板に詳しく記されています。

「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)の由来

簾舞通行屋(明治5年~17年)黒岩家住宅(明治18~昭和57年)

この建物の西半分は、明治4年10月完成の本願寺街道の開削に伴い、開拓使が旅人の宿泊・休憩の便宜を図るため札幌と定山渓間に宿泊所が必要と考え、翌5年1月簾舞通行屋(屋守黒岩清五郎)として立てられ17年に廃止されるまで利用された。その後19年に新道(現旧道)が完成されるとともに翌20年頃現在地に移築し東半分を農家として増築した。そして黒岩家が農業のかたわら大正7年定山渓鉄道が開通するまで宿舎として利用、それ以後は昭和57年に新宅へ移るまで住宅として利用された。

御簾舞地区の初期公共施設としての役目

明治23年12月御料局分担区事務所(現・営林署)、同31年6月には児童14名で始めた私設教育所(簾舞小学校の前身) 明治後期より大正期にかけては月寒歩兵25連隊の休憩所および旧豊平町役場吏員の常宿(出張所)として利用された。また、この時期には地区の寄合がないためこの建物を利用した。

札幌市の有形文化財・旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)

この建物は、昭和59年3月文化財に指定され同年6月より翌60年12月にかけ老朽化に伴う解体・修復工事が実施され往時の姿が復元された。特に「通行屋」の部分は、キングポスト・トラスの小屋組が架けられていて、開拓使の洋小屋としては最初の違例で建築学的にも注目されている。昭和61年4月文化財の公開時に内部の一部を簾舞郷土資料館として使用し、先人の苦労を後世に伝承する関係資料を展示している。

御簾舞の開祖・開拓功労者黒岩清五郎・卯太郎(福岡県三井郡出身)

清五郎は安政年間に来道し有珠善光寺の寺侍となり、その後は函館在「軍川」に定住し水田試作を試み函館奉行所からその地の通行屋を任されたが、明治5年開拓使より簾舞通行屋の「屋守」を匿名された。当時平岸以西定山渓までは黒岩家一戸のみであった。同13年甥の卯太郎を郷里より招きともに屋守のかたわら付近の原始林を開き農耕地を広げた。その意味ではこの地の農業の先駆者でもあった。

平成元年11月3日 旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)保存会」

建物の中は、通行屋として利用されていた開拓期当時の様子が再現されていて、往事の繁栄を偲ばせてくれます。部屋の奥に進むと、当時の家族の様子をマネキンが演じてくれていますが、本物の人間と思って話しかけようとすると、ちょっとビックリします。通行屋の中で気になったのが、入り口から入ってすぐ右手に設けられた、今はなき「定山渓鉄道」の思い出の展示品の数々です。定鉄が地域の足となって走り続けていた当時の様子を撮影したパネルなども展示されていて、とても興味をそそりました。

歴史のあしあと 札幌の碑

ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑、記念碑が気になり始めてから、沢山の人にその存在を紹介してこうと思い、はじめはブログから始めました。札幌の歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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