「福玉仙吉献桜百五十株記念碑」。

(あしあと その78)

北海道神宮の第二鳥居をくぐり拝殿に向かって進んでいくと、表参道の両側にエゾヤマザクラとソメイヨシノの桜の木が植えられています。表参道の右側には奉納された石灯籠が間隔を置いて並べられ、その石灯籠の後方は自然のままのうっそうとした緑に覆われてます。

その緑の奥をよくよく見ながら歩いて行くと、第二鳥居から100メートルほど歩いた場所に、緑に埋もれるようにして小さな石碑が立っているのがわかります。その碑が、開拓判官島義勇に仕えた従者が桜を植樹したことを記念して建てられた「福玉仙吉献桜百五十株記念碑」です。

福玉仙吉は天保8年生まれ。明治2年32歳の年に島義勇の従者として、初めて札幌の地を踏みました。翌明治3年、島は罷免されて東京に戻りましたが、福玉は札幌にとどまり農業を営んで暮らしました。

その4年後、島は江藤新平らとともに佐賀の乱の首謀者の一人として捕縛された後、斬首の上梟首(きゅうしゅ=さらし首)され、それを知った福玉がかつての主である島の死を悼んで、明治八年北海道神宮の境内に150本の桜の苗木を献納しました。

実はこの碑を近くで写真に撮りたかったんですが、うっそうとした草木の中に入るのもとても罰当たりな気がして、2、3歩草地に足を踏み入れては見たもののすぐ近くまで行くことができず、碑のうら面も見てみたかったけど叶いませんでした。資料によると、碑のおもて面には

「明治八年四月 献櫻百五拾株 札幌郡手稲村平民 島判官従者福玉仙吉」

と、うら面には

「大正五年五月五日 為福玉仙吉翁献櫻記念 札幌市街軌道株式會社建設」

と刻まれているそうです。

札幌市街軌道株式会社は札幌市電の前身であり、札幌石材馬車鉄道から改称されました。碑の写真を見るとわかるように、碑は二つに折れた状態であったものを修復して、この地に再建されました。

歴史のあしあと 札幌の碑

ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑、記念碑が気になり始めてから、沢山の人にその存在を紹介してこうと思い、はじめはブログから始めました。札幌の歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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