「屯田兵招魂碑」。

(あしあと その32)

彰徳苑の10基目の碑は、「屯田兵招魂碑」です。

「屯田兵招魂碑」は、札幌に現存する石碑の中で最も古いものとされ、明治12年2月に現在の北区北6条西7丁目にある偕楽園に建碑されました。当時は西南戦争に従軍して戦死した屯田兵の門松経文准陸軍大尉以下37人(27人とも)の霊を慰めるために建立されましたが、明治44年に日露戦争に従軍した札幌連隊軍人の戦死者を合祀して当時の中島遊園地に移設され、その後昭和7年に現在の護国神社の前身である招魂社の社殿が完成した後、翌昭和8年に現在の場所に移設されました。

碑銘は、征討総督を務めた有栖川宮熾仁親王の揮毫によるものと言われています。

('14/12/09 追記する)

最初に屯田兵招魂碑が建てられた場所は、偕楽園内を東西に走る鉄道の北側になります。現在は、ここに大原簿記情報専門学校の校舎が建っています。この校舎前にある偕楽園跡の地図には、「当校現在地」と記された場所に、鳥居と屯田兵招魂碑が描かれています(こちら)

また、明治34年発行の「札幌市街區劃明細圖」にも、当時呼ばれていた「招魂社」の名称で屯田兵招魂碑の碑が記されており、その鉄道を挟んで南側には、大通公園に移設される前の開拓紀念碑の場所が記されているのがわかります。

('15/05/03 追記する)

碑の背面には文字が刻まれていますが、台座の高さと碑の大きさから、下から見上げてみると判然と読み取ることができません。

この碑の前方には、石灯ろうが二基設置されています。

いずれの碑も、台座の正面側には「山鼻兵村」と、背面には「明治廿五年八月一日」と、それぞれ刻まれています。

歴史のあしあと 札幌の碑

ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑、記念碑が気になり始めてから、沢山の人にその存在を紹介してこうと思い、はじめはブログから始めました。札幌の歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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