「山鼻兵村開設碑」。

(あしあと その18)

南14条の行啓通と国道230号・石山通が交差する南東側の南15条西10丁目の一角に、周辺住民の憩いの場所である山鼻公園があります。この公園の中央に建つ碑が「山鼻兵村開設碑」です。

明治7年に屯田制度が制定され、この山鼻地区には東北出身者を中心にした屯田兵240名とその家族が入植しました。普段は開拓や治安維持に従事し、有事の際には兵士として鋤や鍬を武器に替えました。明治10年には鹿児島県で勃発した西南戦争にも出兵しています。行啓通を挟んで公園の北側にある山鼻小学校の敷地には、当時練兵場などがあったそうです。

今の札幌は、日本各地から入植してきた彼ら屯田兵の手によって作られてきたんですね。

('15/04/29 追記する)

「山鼻兵村開設碑」の背面には、一部判然としないものの、次のように刻まれています。

「山鼻村距札幌西南里許癸柯山峙焉豊平川繞焉明治七年官定屯田兵制九年五月移青森秋田鶴岡宮城岩手五縣士民二百四十戸〇〇編〇二中隊属第一大隊十年鹿児島役轉戦守人吉一瀬川高鍋間其功戴在史〇来復詳此而種藝〇桑之業亦逐年而興得良田七百三十町可謂兵農両金天今茲甲午之〇村民胥謀欲建紀念碑以傳不朽乃叙兵村創置之梗概刻之碑隂

明治二十七年九月三〇日」

また、碑の前面に説明板が置かれていて、それには

「碑歴

明治七年屯田制度が制定されこの山鼻地区に山鼻兵村を設置することが決定した。

明治九年五月兵屋の建築が竣工すると同時に東北地区の諸藩士を主体とした二百四十戸の兵士・家族千百十四人が移住一大村落が形成された。

以来北方領土警備の責務と、生活を共にする家族を含めうっ蒼とした原始林と多くの野獣の遠吠えが聞える当時の山鼻地区を開発する厳しい任務を背負う苦難が始まりこれが山鼻開発の原点であった。

明治二十七年九月山鼻兵村開設から二十年を経過したのを記念して屯田の有志が私財を投じこの地にこの碑を設置した。碑の題字は当時の屯田兵司令官陸軍中将永山武四郎です。毎年五月に移住の日を偲ぶ趣旨の下、山鼻小学校児童を含め祝典が挙行された。

その後大正元年九月二十七日山鼻記念碑保存資産が移住し今日に至る祖先への感謝と業績を後世に伝える目的をもって財団法人として申請承認された。

爾来この山鼻兵村開設碑は山鼻屯田の誇りとシンボルとして維持管理を財団が担っている。

財団法人 山鼻記念碑保存資産」

と記されています。

歴史のあしあと 札幌の碑

ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑、記念碑が気になり始めてから、沢山の人にその存在を紹介してこうと思い、はじめはブログから始めました。札幌の歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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